カルメン・マキ

 カルメン・マキ 
 
今年の流行語大賞「ゲゲゲの~」が選ばれましたが、
 
朝ドラの「ゲゲゲの女房」は好評でしたが、「ゲゲゲの~」て、
 
流行してました!?
 
それはさておき、
 
昨日、残り一月で今年を思い返してみるかと書きましたが、
 
1969年の頃を思い返す事になった。
 
You Tubuを観ていてカルメン・マキの「時には母のない子のように」を聞く。
 
カルメン・マキ当時十七歳、私は十九歳
 
デビュー曲「時には母のない子のように」は、
 
その妖艶な雰囲気と歌唱力、そして投げやりな歌いっぷりが話題を呼んだ。
 
妖艶なのは、
 
父・アメリカ人アイルランドユダヤ人の血を引く)と母・日本人のハーフなので、
 
顔立ちが日本人離れしているからであろう。
 
その当時、に夢中な青春時代を過ごしていた。
 
乗っていたのは、トヨタカローラ・スプリンター
 
友人たちの車は、
 
 
トヨタ・パブリカ、
 
 
マツダ・サバンナクーペ(ロータリーエンジン)、
 
ホンダ・1300クーペ、
 
ホンダ・N360、などである。
 
当時カーステレオと言えば、8トラックカーステレオの時代。
 
8トラックカセットテープをご存知だろうか、
 
弁当箱のような大きさのカセットテープである。
 
友人の車で、このカーステレオが付いていたのはブルーバードSSSだけであった。
 
8トラックカーステレオが付いたブルーバードSSSに六人乗り、
 
時には母のない子のように」を聞きながら、関東方面へ旅行に出かけた。
 
その話は長くなるのでここまで。
 
カルメン・マキや、「時には母のない子のように」をご存知ですか!?。
 
物悲しげな波の音、ハーモニカの音色・・・、
 
今でも記憶に残る。
 
こんな歌です。
 
カルメン・マキの容姿、顔立ちが好きであったが、
 
 1970年に突然のロック転向。
 
「山羊にひかれて」や「私が死んでも」「戦争は知らない」を歌っていた頃の
 
カルメン・マキが好きである。
 
現在もロック歌手としてライブハウスを中心に活躍中である。
 
2009年、ライブハウスで歌ている「時には母のない子のように
 
と聞き比べてください。
五七歳の歌声と容姿、また好きになったかな!。