情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 01
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 01
出発日 : 2011年 2月20日 (日)
帰着日 : 2011年 3月01日 (火)
阪急交通社
オランダ航空 kL-0868便 AM11:00発
飛行時間 12時間15分
スキポール空港で入国審査を受けます。
このスキポール空港で乗り継ぎですが、5時間の待ち時間があります。
5時間は長い、喫煙場所があったので助かりました。
出発便表示板を見てみると、
早い時間帯のアムステルダム行きは何便もありました。
アムステルダム発 オランダ航空 KL-1677便 PM20:35発
飛行時間 2時間15分
バスにてバルチェロアテナマールホテルへ。
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 02
2月21日(月)、2日目は、午前中バルセロナ観光です。
午後からは、バレンシアへの移動になります。
まず訪れたのは、天才建築家ガウディの傑作サクラダ・ファミリアです。
日本では、聖家族教会とも呼ばれています。
今回の旅行は、10日間でスペイン各地とポルトガルの観光ですので、
各観光地での滞在時間は限られています。
サクラダ・ファミリアも外観と地上部内部のみの観光でした。
サクラダ・ファミリア上部にも上ってみたかった。
テレビでは何度となく観ているサクラダ・ファミリアですが、
実際に目の前にすると、奇奇怪怪な建造物だ!。
ここでトラブル、
EOS40D + EF70-200mm F4L IS USMに入れていたCFカードにエラー発生。
CFカードを初期化しなければなりません。
ここまで撮影したサクラダ・ファミリア外観各部のアップ画像がパーになる。
よって、彫刻などのアップ画像がありません。
サクラダ・ファミリアに興味のある方は、関連WEBサイトを参考にしてください。
ガウディは仔細な設計図を残しておらず、
時代毎の建築家が、
ガウディの設計構想を推測する形で現在も建設が行われているそうだ。
サクラダ・ファミリアで日本人と言えば、主任彫刻家の外尾悦朗さんですね。
お会いできませんでしたが。
公式発表ではガウディ没後100周年目の2026年に完成するとされている。
建設開始から長い年月が経っているため、建築と並行して修復も行われている。
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 03
2月21日(月)、2日目は、午前中バルセロナ観光です。
EOS5D + EF24-105mm F4L IS USM
作り上げた分譲住宅で、1900年から1914年の間に建造された。
しかし、売れずに失敗し、市が買い上げ公園として生まれ変わったところです。
60軒計画されていたが、売れたのは2棟のみで、
1軒は施主のグエルでもう1軒はガウディ本人である。
破片タイルのベンチ、トカゲの噴水、門衛館など奇妙な作品が多いが、
周りの自然と調和して独特な雰囲気を醸し出している。
敷地内にはガウディ邸があり、現在はガウディ博物館として公開されていますが、
内部の見学するほど時間がありませんでした。
この日は晴天で、冬と言うのに眩しいほどの日差しでした。
晴天過ぎるのも明暗の差が大きく撮影には良くない。
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 04
2月21日(月)
車窓よりガウディの建築物のカサ・ミラや
カタルーニャ音楽堂見学へ。
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 05
2月22日(火)
人口は約80万人でスペイン第3位の都市、バレンシアの観光です。
朝一番、旧市街地を散策しながらカテドラル(サンタマリア大聖堂)の見学。
カテドラル とは、"カテドラ"のある教会のこと。
カトリック教会には、教会の行政、司牧のための地域的区分があり、
それを「教区」と呼びます。
それぞれの「教区」には教区長である司教または大司教がおります。
この(大)司教が、自分の教区内にいる信徒を教え、導き、
司式するための“着座椅子”をギリシャ語で《カテドラ》といいます。
昔から、この 言葉は教授、判事の席を意味しており、
後に高座そのものをいうようになりました。
つまり、権威をもって教えるという意味です。
《カテドラ》すなわち司教座のある教会を“カテドラル”、司教座聖堂といいます。
平たく言えば、格式の高い教会です。
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 06
2月22日(火)
バレンシアの観光です。
カテドラル(サンタマリア大聖堂)からバレンシアの台所、
市場の建物は1928年建設されたガラスドーム型で、
建物外部からの眺めも大変美しいです。
市場は面積が8000㎡もあり、ヨーロッパ最大規模だそうです。
売られているのは、食料品です。
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 07
2月22日(火)
バレンシアの観光です。
ラ・ロンハ・デ・ラ・セダとは絹の商品取引所のことです。
ゴシック様式の世俗建築であるロンハは、
1482年から1498年に、ペレ・コンプテ(Pere Compte)、
ホアン・イヴァラ(Johan Yvarra)、ホアン・コルベラ(Johan Corbera)、
ドミンゴ・ウルティアガ(Domingo Urtiaga)といった石工たちによって建造された。
最終的に建物全体が完成したのは1548年のことである。
分厚い壁、塔、銃眼といった要素が一種の古城を思わせるロンハは、
4つの部分から成り立っている。
建物とその他を含めた敷地面積は2000 m² を超える。
1996年12月7日に世界遺産に登録された。
壮大な建物でもなく、
と疑問に思ってしまうような所です。
絹の取引所としての歴史的価値があるのでしょう。
欧州道路Eー901 から国道N-320を経てクエンカに入る。
クエンカは、人口は43,000人。旧市街は特殊な地形がさいわいして、
他所に類をみない独特な町を形成しています。
フーカル川とウエカル川にはさまれた険しい崖の上に石造りの家があります。
それは地震や崖くずれを何度も体験している日本では、考えられない光景です。
断崖絶壁の上にせり出してみえる「宙づりの家」
(Casas Colgadas・カサス コルガーダス)はクエンカならではの景観の1つです。
日本語読みでCasas Colgadasを
カサ・コルガーダスとカサス・コルガーダスの両方使われています。
どちらでもよいようです。
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 09
2月22日(火)
旧市街クエンカを散策。
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 10
2月22日(火)
クエンカを後に、約165kmバスで移動、スペインの首都マドリッドへ向います。
私は、マドリードと言ってしまいますが、
最近は英語読みに近いマドリッドのようですね。
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 11
2月23日(水)
旅も4日目になります。
オーデットリウム・ホテルのロビーにこんな車が!?。
マドリッドには二連泊なので、トレドへは日帰り観光になります。
マドリッドから南に約70kmの位置にあります。
スペインの歴史を凝縮したとも言える街です。
トレドの街中に入る前に、トレド全景が望める高台に向いました。
湾曲したタホ川に囲まれた旧市街が一望できます。
情熱のスペイン悠久のポルトガル10日間 no 12
2月23日(水)
トレド全景を望み、トレドの街散策です。
駐車場からエスカレーターで城壁内に入ります。
トレドの地図の手のマークの場所にエスカレーターがあります。
↓
2001年の建築FADに選ばれただけあって、
外観は、うまく古い城壁に収まっている。
観光の目玉は、トレドの街並みと、
サント・トメ教会 - モスクを14世紀に改装したもに、
現地日本人ガイドさんが、
エル・グレコの人間像ならびに、この絵画の説明を長時間話された。
絵画に興味の無い人には、辛い時間だったろう。
一般に知られるエル・グレコの名はスペイン来訪前にイタリアにいたため、
スペイン語の男性を表すエルがついた通称です。
スペイン人でなかったエル・グレコは、人種差別を受けたといわれています。
デンデン・・・・・・・。
彼の作品が多数展示されています。
そこでも、エル・グレコの絵画の特徴・変化など説明します。・・・・・」
で、古都トレドの街を早足で移動!。
ガイドさん年配の割りに足は早い!。