何れ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)
何れ菖蒲か杜若
EOS5D + EF100mm F2.8 MACRO USM
簡単な見分け方は、花びらのもとのところに、
花菖蒲は黄色、カキツバタは白、アヤメは網目状の模様が、
それぞれあることで区別できます。
で、画像は花菖蒲?。
時期が過ぎると見分け方忘れてしまう!。
この時期になると思い出すのが、
細江川北岸・浅沢神社周辺は古代、浅沢沼と呼ばれ、
平安の昔からかきつばたの名所として知られていた事による。
「住吉の浅沢小野のかきつばた衣(きぬ)に摺(す)りつけ着む日知らずも」
(万葉集 作者不明)
「いかにして浅沢沼のかきつばた紫ふかくにほひ染めけん」
(藤原定家)
「むかし見し浅沢小野の花あやめいまも咲くらむ葉がくれにして」
(明治天皇)
大阪市全区名のなかで一番由緒ある区名です。
町名も由緒ある名が残っています。
◆浅香(あさか)
近世初頭、浅香善右衛門宗胤が先祖の城跡を豊臣秀吉から与えられて土地を開発したことに由来する。浅香氏の姓から採った説のほかに、聖徳太子ゆかりの香木「浅香」が付近の浜に打ち寄せられたことによるという俗説がある。
◆我孫子(あびこ)
譜代文献に見られる「依羅宿彌我孫忍麻呂」など、我孫子氏が当地付近に居住していたことに由来する。「依網阿毘古」(『古事記』)、「依網吾彦男垂見」 (『日本書紀』)、「我孫八豊城入彦命男八網多命之後ノ者」(『新撰姓氏録』)等が当地と「あびこ」の関係を伝える。
◆遠里小野(おりおの)
『万葉集』に詠まれている「すみの江の遠里小野の真萩もて…」など、古代からの当地付近の地名に由来する。『太平記』の「住吉合戦」の項に「瓜生野の北より押寄たり」とあり、瓜生野(うりうの)から遠里小野に転じたとの説もある。
私の父や母は、「うりの」と言っていた。
◆苅田(かりた)
文明3年(1471)以降の古文書類の戦場によく登場する当地域の知名で「かつた」と読み、勝田-苅田の字が当てられる。戦国時代の争奪の目標となる草刈場に由来すると考えられている。
◆粉浜(こはま)
◆澤之(さわの)
◆清水丘(しみずがおか)
むかし、当地域に美しい清水が湧き、周辺の農地をうるおして「清水田」と呼ばれていたことに由来する。
◆杉本(すぎもと)
◆墨江(すみえ)
◆住吉(すみよし)
住吉大社に由来する広域の地名を継承するもの。住吉大神が住むべき国を探していた際、当地に至って「真住み吉し」として社地を定めた故事による(『風土記』)と伝えるが、『新撰姓氏録』の住吉氏が当地を管掌したとする説もある。
◆千躰(せんたい)
徳川幕府が千歳を祝して名づけた松栄亭と、ここにあった正印の御筥が秘符されて内部の正躰に接することがないという伝承に由来する。
◆大領(だいりょう)
◆帝塚山(てづかやま)
◆殿辻(とのつじ)
住吉神社の津守氏邸内正印殿は、住吉行官の跡とされるが、その正印殿に交わる道路の要衡にあるところから殿辻の地名があり、殿辻村から現町名が継承された。
◆長居(ながい)
周囲約八百メートルの大御池が古くから町域に存在していたが、地元ではこれを長居池と俗称していた。『摂津名所図会』に長居池・長居浦が見え、「霜さえて小夜も長井の…」(『千戴』)の古歌もある。
◆長峡(ながお)
住吉神社の境内地の一部にあり、「長峡橋西の鳥居馬塚前長峡浦にあり」(『摂津名所図会』)とあり、古来からの長峡里・長峡の浦辺の呼称に由来する。
◆庭井(にわい)
大依羅神社境内地にあった依羅井が「庭井の清水」と俗称されていたことに由来する。
◆万代(ばんだい)
万代にわたり水が絶えないと伝承される万代池に由来する。なお古歌に詠まれる長居池はこの万代池という説もある。