no17 オーストリア・ウィーン
no17 オーストリア・ウィーン
7月24日(日)
聖シュテファン寺院を中心に、
街の中心部を囲んでいる幅広い環状道路がリンクをバスで走行、
車窓より観光。
街路樹が美しいウイーンのメインストリートの一つで、
その周囲にはオペラ座や美術史博物館など、
ルネッサンス様式の建物が建ち並ぶ。
王宮近く、ブルク庭園に立つモーツァルト像の花壇の花は
ト音記号の形をしています。
バスからではうまく撮れない。
途中リンクが一部通行止めで迂回する。
地図を見ながらだと街の中心部の位置関係がよく分かる。
「金のキャベツ」と呼ばれる分離派会館(セセッション館)、
ここにもクリムト作品が多く展示されています。
リンクを外れて、
宮殿内に入らず、庭園の自由散策です。
上宮から下宮まで庭園が続き、かなりの距離があります。
ベルベデーレ宮殿・庭園観光後、
ウィーンの街が一望できるカーレンベルグの丘に向う。
カーレンベルグの丘はウィーンの森にあります。
オスマン・トルコは1529年9月、25万もの大軍でウィーンを攻撃。
2回目の襲撃は1683年7月、
やはり25万の軍に包囲されますが、陥落寸前の9月12日、
トルコ軍を打ち破った。
ここで出てきたトルコですが、
EUへの加盟を大きな外交目標にしていますが、
いまだに加盟できない。
その原因の一つに、「トルコの脅威」の記憶に関する問題 だそうです。
オスマン帝国は、長らくヨーロッパに対し、支配、侵略の歴史がある。
そのほかの問題、
人権保護制度の遅れ 。
もっとも公式的に表明されている問題点で、
特に離婚時の女性に対する処罰規定が問題となっている。
トルコ系移民の問題 。
宗教的問題。
トルコ国民の99%以上がイスラム教徒。
最後に、そもそもトルコは「ヨーロッパ」であるのか? 。