行幸啓
行幸啓
長年疑問だったことが解決しました!!!!。
1956年、あれは幼稚園児の時、
天皇陛下がこの道を通られるとの事で歓迎の為に並んでいるのだった。
合図と共に深く礼。
直れの合図で顔を上げると、道路には誰も居ない?。
車が通った気配もなく、天皇陛下万歳と旗を振るわけでもなく、
ただただ地面におでこが付くほどに礼をしていた。
子供心に何してたん?と疑問に思った。
そして、中学生の時に昭和天皇の戦後の巡幸があった事を知り、
幼稚園児の時にこのような行為があった事、
遠沢公園北側の道路を昭和天皇が通った事を家族に確認するが、
だれも知らなかった。
昭和天皇の戦後の巡幸は1946年(昭和21年)から1954年(昭和29年)であったので、
天皇陛下昭和の巡幸では年が合わない。
あの出来事は私の夢だったのか?、それとも何かの勘違い?。
遠沢公園の北側で手に紙で出来た日の丸の旗を持ち、
正座で頭を下げた事はハッキリと記憶にある。
「天皇陛下」と言う言葉も記憶にある。
現在まで幾度も、このことを思い出すことがある。
パソコンを使うようになってから、
思い出す度に1956年に住吉に着ていないか調べるもヒットせずでした。
「1956年 行幸啓 大阪」 をキーワードで調べてみたら、
ヒットしました!!!。
今は大阪市立墨江丘中学になっていますが、
その敷地にはかつて住江織物の工場がありました。
天皇・皇后両陛下、住吉工場行幸啓していたのです。
矢印の位置に正座(現在の交番横公園出入り口)
私の目の前を昭和天皇・皇后が通ったのはホントだった!!!!。
スッキリ!、スッキリ!、スッキリ!、ですが、
現在、地域住民で住江織物工場があった事を知る人は少なくなりました。
我が本籍地も疎開させられた。
家屋(建物)疎開:軍事施設、軍事工場に隣接する家屋を撤去し、防火帯(防空空き地)を作る事。
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