真田の抜け穴

 真田の抜け穴 
 
三光神社の境内には、
真田幸村大坂冬の陣の際に掘ったと伝わる抜け穴がある。
画像の石垣のところです。
 
真田丸と呼ばれる出丸を築いた真田幸村が、
南惣構堀(みなみそうがまえほり)を隔てた大坂城内へ通じる抜け穴を掘ったと伝わっているのである。
 
三光神社のこの穴から、
大阪城のどこに抜けられるのだろうか・・・と夢をロマンを膨らませてください。
決して穴の中を覗いては行けません。
夢がロマンが消えていく・・・・。
 
覗いてしまったのであれば仕方ない。
実は、この境内は真田丸の中心(現在の明星学園)から東にかなり離れており、
真田丸の外側だったとされている。
実際のところ、冬の陣の籠城に業を煮やした徳川家康が掘らせたものとする説が正しいようだ。
追い討ちをかけるようですが、昭和55年頃の真田の抜け穴写真を見ると、
現在の物とは違う石垣です。
現在の石垣は、
昭和62年に大阪真田山ライオンズクラブ15周年の記念に建立された
真田幸村像と共に改装されたものです。
 
最近、明星学園辺りが真田丸が築かれた場所である事は、
ほぼ間違いないと分かったのである。
この辺りを歩いてみると、
段差のある地形からなるほどと納得できるのである。
 
覗いても分からないが、歩くと分かる真田のロマン!。
 
イメージ 1
DMC-GX8 + LUMIX G X VARIO 12-35mm/F2.8 ASPH./POWER O.I.S.
TV 1/500 AV 5 ISO 200 焦点距離 12 mm
 
 
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