杉原千畝記念館


杉原千畝(すぎはら ちうね)、この名前を知ったのは昭和の終わり頃か平成になってからだったかな・・・。
リトアニアの人々には千畝(ちうね)というのが言いにくかったため、「センポ」と呼ばれていた。
日本より、ユダヤ人やリトアニアでのほうが有名人である。
そんな杉原千畝の足跡をたずねて、
住宅街にある一軒の住宅が旧日本領事館です。
訪れた時は、外装工事中で家の外観は見られず、
入口も横の路地にある勝手口から入りました。

外交官であった杉原千畝氏が領事としての任務にあたっていた旧日本領事館です。
当時、杉原領事はナチス・ドイツポーランドに侵攻し、
生命の危機にさらされたポーランドに住むユダヤ人のシベリア鉄道経由での亡命を手助けするために、
当時のオランダ領事であったヤン・ツバルテンディックと連携し、
日本政府の意に反して「命のビザ」とも呼ばれた日本通過ビザの発給を行いました。
領事館だったこの建物は現在、その杉原千畝氏の記念博物館として一般に公開されています。
残された執務室からは、杉原氏の勇気とその大いなる決断が感じらます。
大勢のユダヤ人を救った杉原氏は「日本のシンドラー」とも呼ばれ、
日本人として唯一イスラエルから「諸国民の中の正義の人」として表彰されています。

そんな杉原千畝氏ですが、日本国政府による公式の名誉回復は2000年(平成12年)の事です。

今現在、「日本のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝氏の遺品をめぐって、

いやですね!、財産相続争いは。
我が子供たちには、常々相続争いしないように言い聞かせているのですが、
私の死後、どうなる事でしょうか、なぬ!、借金は相続放棄するだと・・・・・。

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