石津の風車

 石津の風車 

浜寺公園からの帰り、旧紀州街道を通り帰宅。

紀州街道沿いに懐かしい風車を見つけました。
昔、南海本線に乗ると湊駅-石津川駅間の車窓からネギ畑に林立する風車が見られました。
旧国道26号線からも見られました。

地下水を汲み上げ、畑の潅がい用にする風車です。
風車の回転運動をクランクで上下運動に変え、手押しポンプを動かす仕組みです。

40年ほど前、車で走り回っていた二十歳代にはまだ残っていました。
現地に、当時の物は残っていませんが、
服部緑地の日本民家集落博物館に一基保存されています。

見つけた風車は堺市立新湊小学校横にあり、
旧湊西小学校50周年記念事業で平成17年に設置されたレプリカです。

私が知る昭和の頃の泉州畑は、ネギかミツバ、ホウレンソウ、キクナなどの野菜の栽培でした。
しかし、明治時代までは綿が栽培されていたんですね。
16世紀に綿作の技術が和泉・河内など畿内に普及。
やがて、農家が換金のための木綿織りをはじめる。
それで泉州に紡績工場が多かったんですね。
今は衰退してしまいました。

東京オリンピックで活躍した「東洋の魔女」と言われた日本女子バレーの主力は、
泉州にあった日紡貝塚女子バレーボールチームでした。
東洋の魔女とは、1961年の欧州遠征で22連勝した大松博文監督率いる
日紡貝塚女子バレーボールチームにつけられたニックネームです。

東洋の魔女の伝統を引き継ぐニチボー貝塚チームも平成12年7月をもって活動を停止。
同年9月、チームは東レ株式会社へ完全移籍し、「東レ・アローズ」(滋賀県大津市)として現在も活躍。

滋賀県大津市の国道1号線沿いにある東レ工場前は、滋賀県草津に居た頃よく通りました。
東レ・アローズとは関わりありませんが、同じV・プレミアリーグの「岡山シーガルズ」とは少し関わりあり!。
岡山シーガルズ部長兼総監督の河本 昭義(かわもと あきよし)氏を知ている。
大阪国際滝井高校のバレーボール部監督から東芝シーガルズ監督、そして現在に至る。
昔、東芝シーガルズ監督時代に大阪国際滝井高校や高校バレー試合会場で何度か会った事が有る!。

石津の風車から懐かしい高校バレーの思い出でがよみがえる・・・・・。

イメージ 1
EOS 5D Mark Ⅲ + EF24-70mm F4L IS  USM
AV 6.7 TV 1/350 ISO 200 焦点距離 24 mm
 
 
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