NO23 エジプト旅行記 =  朝日の奇跡、アブシンベル大神殿

 
     NO23 エジプト旅行記 = 朝日の奇跡、アブシンベル大神殿  
 
ホテルにて、朝食弁当を受け取り、コンボイ集合場所に向う。
普段は、早朝コンボイ出発であるが、
年に2回のアブシンベル神殿・朝日の奇跡を見るために、深夜出発になる。
 
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これが一人分、パンの多さが・・・・!。
 
コンボイとは、
テロにより1997年(平成9年)11月17日午前9時15分、
ルクソール観光客襲撃事件があった。
それ以後、観光客警護の為、
武装警察に守られて車列を組んで観光地を移動する制度になる。
 
以前はルクソールエドフ~アスワン間でもコンボイ制度があったが、
現在は、アスワン~アブシンベルに縮小された。
シナイ半島でもあると聞く。
 
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コンボイ出発は当初、2月22日、午前0時、その後午前0時30分に変更、
最終的に出発したのは、午前1時を過ぎていた。
予定通り行かないよと聞いていたものの、バスの中で待つのは辛い!。
 
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コンボイ集合場所には、大型・小型観光バス、ワゴン車、タクシー総勢80台ほどの車と、護衛警察車輌が揃う。
2009年10月22日の日は、総勢120台の車が集まったそうな。
 
乗客数の少ない観光バスにアーミー警察官2名乗車する。
我々のバスにも、自動小銃を持ったアーミー警察官、
そいて腰に拳銃を付けた私服警察官が乗り込んできた。
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この場所が、アスワンの町の何処なのか、分からない。
左手に墓地がある。
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アブシンベル神殿から帰ってきて、コンボイ集合場所が何処だったのか分かる。
オベリスクの石切り場墓場に挟まれた道路だった。
画像手前がオベリスクの石切り場、道路奥が墓場で、
ロータリーの角にあるのがトイレです。
このトイレ、コンボイ移動の時にしか開いていません。
 
アスワンの町中は整然車列を組んで走っていたが、
砂漠地帯の直線ハイウェーになると、
先頭護衛車輌はぐんぐんスピードを上げ見えなくなる。
後方からは、スピードの早い車が追い抜いて行く。
アスワン~アブシンベルの道路はコンボイ優先で、他の車輌は走れません。
片側1車線の道路を反対車線も使って全車ノンストップで走りぬく!。
真っ暗な砂漠ハイウェーには、赤いテールランプの長い帯が出来る。
 
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約3時間半暗闇駐車場に到着。
現地ガイド「トイレ休憩です。」の言葉にカメラを持たず、
懐中電灯の明かりを頼りに付いて行く。
全員トイレを済ませると、これからアブシンベル神殿入口に向います。
エッ!、バスには帰らないの!?。
私、完全に勘違いしていました
トイレを済ませ一旦バスに戻るものだと思っていた。
団体行動しなければならず、バスにカメラを取りに戻れません
(周りは暗闇、バスは移動しているらしい。)
ハイ!、痛恨のミス・・・とほほ!。
(やはり、現地ガイドの日本語は中途半端な表現だと思う。)
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アブシンベル神殿は今から3000年以上前、ラムセスⅡ世によって建造されました。
数ある遺跡の中でもその圧倒的な迫力・存在感は、
悠久の時を経ても訪れる全ての人に感動を与えるそうです。
カメラが無いので脳裏に焼き付けてきました。
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もともとは現在の位置より60mも下の岩山を掘って造った遺跡ですが、
アスワンハイダム建設に伴うナセル湖によって危うく水没の危機
そこでユネスコが呼びかけ、救済に尽力することで世界に知られます。
現在、ユネスコ世界遺産を毎年選定して、歴史遺産の保存に努めていますが、
この制度が生まれるきっかけとなったのは、
このアブシンベル神殿の救済計画でした。
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狭い敷地内入口に観光客が押し寄せる。
ここでも整列させて入場させる手当てはしていない。
早い者勝ち、横はいり、・・・・何とかせい!遺跡係り。
現地ガイド、「押されても押し返して、がんばって!」。
なぜ先を争って入るのかと言うと、神殿奥のラムセスⅡ世像朝日が当たるのは、
わずか25分間だけであり、太陽が高く上がってしまうと陽は入らないからです。
ですから、これだけの大勢の人すべてが見れる訳ではありません。
 
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押し合いの末、敷地内に入り遊歩道沿いにアブシンベル大神殿前にと向う。
もうすでに大勢の人が並んでいる。
大神殿入口から25mぐらいの参道に、若い観光警察官が両側に並んでいる。
観光警察官が途切れた所から、扇状に観光客の列が出来ている。
ちょうど、じょうごの先に向って人が流れ込んでいく光景。
これではまた先で押し合いへし合いだ!。
 
2時間ぐらいこの場で待たなくてはならない、
回りではエジプト民族舞踊などが行われ祭りらしくなってきた
そのなかの踊り、タンヌーラ(旋回舞踊)は素晴らしかった。
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この画像はギザで撮影した物です。20分ぐらい回りっぱなし凄い!。
 
タンヌーラとはアラビア語でスカートを意味し、エジプトの様々な民族楽器による演奏と民謡歌手の宗教的な詩、そして預言者ムハンマドを賛える歌を朗誦する中でダルビッシュと呼ばれる旋舞手(ダンサー)がカラフルなスカートを身にまとい、長時間旋回し続けながら神との一体を図るという、イスラームスーフィー信仰から発展した舞踊です。身にまとうタンヌーラ(スカート)は半径が1メートル以上あり、熟練の旋舞手が何枚も重ねたタンヌーラを高速回転を続けながら華麗に取り外していく様は圧巻です。
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午前6時ごろ大神殿の前ナセル湖の水平線が明るくなってきた
ここでも現地ガイドのが飛ぶ「負けないで!!」。
負けるもんかと押し返す。
現地ガイドから、この辺りに並んでいれば朝日の奇跡は見れます、
大丈夫!との事。
そして、神殿内より儀式を終えた市長や軍、警察幹部が出てきた。
いよいよ神殿内に入れるぞ!。
大神殿外にシャープ大型液晶テレビが左右に1台づつ置かれていたが、
並んでいる位置からは見えない。
多分大神殿ないの様子が映し出されているのだろう。
前に進みだす、横には中国系の団体、一段と押しが強くなる負けないぞ!。
何とか、若い観光警察官が並ぶ参道に入れた。
 
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ラムセスⅡ世像が立ち並ぶ部屋にと入り、
左に並ぶ像の後ろ側を一方通行右回りに正面至聖所に行き、
左の像の後ろを通り表に出る。
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至聖所の前まで来ると、監視人がしゃがんで進むようにと叫んでいる。
上の画像の右から3像にだけに朝日が当たる。
左の像には陽が当たらない。
左からプタハ神アメン・ラー神、ラムセス2世、ラー・ハラクティ神で、
プタハ神は、闇の神でもあるからが当たらないのだ。
元々は、朝日が差し込む日は2月20日と10月20日であったが、
北西に210m、高さで65m移動、移築をしたら、
2月22日と10月22日になってしまった。
しかし、約3300年前の知恵と知識はすごいもんだ!!!。
 
神殿内は撮影禁止であるが、
中国系のおっさんが監視人の制止も聞かずにシャッターを切りまくる!。
人が多くて、監視人もその場を動く訳には行かず、大声で制止するしかない。
普段なら、きっと連行されていただろう。
カメラを忘れた私は、アブシンベル神殿の外観も撮影出来んのだぞ!と、
つぶやきながら脳裏にしっかりと写し込むのでありました
 
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衛星画像の中央付近の手形マークアブシンベル大神殿です。
神殿の外に出ると暑い!、日陰も無いしカメラも無い
さらっと周りを見学して早めに集合場所の出入り口に戻る。
 
神殿敷地外に出ると、カフェ市長や警察幹部達打ち上げ宴会をしていた。
その周りを背広姿自動小銃を持ったSPが取り巻いていた。
 
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帰りのコンボイ出発9時と決まる。
バスに戻り、やっとカメラを手にする。
 
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後方の台形の丘アブシンベル大神殿の裏側です。
内部はコンクリートの空洞になっています。
丘の裏側入口まで行き、鍵のかかった柵から中を覗き込みました。
見えたのは、下に下る階段だけでした。
丘の上には監視小屋があります。
 
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我々のバスが動き出したのは9時半頃でした。
日の丸が描かれた消防車があった。
日本から送られた物なので日の丸が描かれているのです。
 
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右の丘裏側から見た、アブシンベルの大神殿、左の丘が小神殿です。
 
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上と下の画像は、アブシンベル空港です。
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バスの最前列、通路のに座っているのが、
制服アーミー警察官で右側が私服警官です。
途中から寝てました!。
 
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帰りは一般車輌も通行していました。
そして、帰りのコンボイは、車列など関係ないやと各車輌好き好きに走行!。
スピードの出せる車は、警察車輌を抜いていきます。
これでは、テロから我々を守れんのかと疑問に感じる。
コンボイ制度は形式的なものになっているのだ!。
 
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蜃気楼です!、初めて見ました!。眠気も覚める。
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バスは一路アスワンの町を目指してノンストップで走る。
 
 
EOS5D + EF24-105mm F4L USM  &  EOS40D + EF135mm F2L USM