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EOS5D + EF100mm F2.8L MACRO IS USM
2012 第7回 大阪モーターショーが1/20(金)から
大阪南港のインテックス大阪で開催されています。
今の若者は、車を持たず、免許を取らずの車離れだとか。
我が青春、車命だった70年代、車が無ければデートにも誘えない。
スカGに憧れ鈴鹿(スズカサーキット)通い。
そんな時代に乗っていたトヨタカローラスプリンター、
カローラレビンとスプリンタートレノがあり、
共通車両型式番号AE86から走り屋では俗にハチロクと呼ばれていた。
そのハチロクが現代によみがえった。
ドリフト走行で6連勝という記録を残し、
同時に、「ドリキン」(ドリフトキング)の名も生まれた。
ドリフト走行は、コーナーで逆ハンを切り、
前輪、後輪をスリップさせて曲がっていくダートレースでは必須走法ですが、
このテクニックをグリップ走行が常識のサーキットでやってのけたのが、
ドリフトの国光に対してグリップ走法の黒澤元治・・・・懐かしいな!。
しかし、70年代以前のツーリングカーレースなどでは皆4輪ドリフト使っていた。
現在のレースカーと違い、タイヤのグリップやエンジン出力の劣る車で
エンジン回転数を落とさずコーナーを立ち上がるにはドリフトも有利だった。
私が1968年に自動車免許を取った頃、
レースドライバーをやめた滝進太郎、
彼の愛車ロータス・エラン26Rがカッコよかった。
鈴鹿サーキットでの練習中に事故死23歳の若さでした。
以後、プライベートでも ホンダS600を改造したマシン「カラス」や
私にはレースでの浮谷東次郎の記憶がない。
その当時同じ23歳の生沢 徹(いくざわ てつ)は
今で言うイケメンレーサーでした。
生沢と言えば、ポルシェカレラだ!。
ミッキー・カーチスさんもレースをしていたな~。
そうそう、国際A級ライセンスを持つ音楽家の三保 敬太郎(みほ けいたろう)、
この人も黄色のロータスエランに乗っていた。
1965年から1990年まで約24年半にわたって放送されていた日本の深夜番組
「11PM」のテーマ曲も作曲、映画監督や俳優もしていた。
ああ~!憧れのロータスエランなり~。