トルコ016ローズバレー・カイマクル地下都市

 トルコ016ローズバレー・カイマクル地下都市 
 
 
6日目 2月25日(土)
 
三姉妹の岩を後に、ピンク色の岩の渓谷から
「ローズバレー」という名前がついた渓谷を見渡せる場所へ。
イメージ 1
 
イメージ 6
ローズバレーは展望所から見渡して観光終了。
イメージ 7
 
カイマクル地下都市の見学へ。
イメージ 8
 
トルコ・アナトリア高原に位置する謎の奇岩地帯、
カッパドキアに広大な地下都市がある。
標高1000メートル級の不毛な荒地の地下に、
200から400の地下都市があり、
それらの地下都市間は横穴で連結しているという。
収容人数は推定10~100万人以上とも言われている。
アバウトな話である。
そんなミステリアスな地下都市のひとつカイマクル地下都市に進入。
イメージ 2
 
イメージ 3
通路は狭いが、生活空間に教会、貯蔵庫、ワイン醸造所、
地下水脈まで届く空気坑まである。
イメージ 4
地下8階~9階ありますが、観光できるのは4、5階まで。
イメージ 9
観光案内では、イスラム教徒の迫害から逃れるために
キリスチ教徒が地下都市に住むとある。
トルコ政府により発掘が開始されたのは1965年で、
地下都市の存在は口頭伝承されていたというが、
近代に到るまで、その存在が確認されていなかったとは驚きである。
 
この地下都市はエジプトのピラミッド同様謎だらけなんです。
地底都市は農夫が発見したカイマクルだけではなく、
ギョズテジン、デリンクユなど、カッパドキア南部にいくつも発見された。
さらに近年、マヴルージャンやオズコテークなどでも続々、地底都市が発見された。まだまだ未発見の地下都市はあると見られているが、
地上にはキリスト教徒が住んだとい遺物が多数あるが、
地下には発見されていない。
貯蔵庫に残り物が無い、食器や生活備品、ゴミが残っていない、
トイレ跡に排泄物の痕跡無し、
地下教会にキリスト教に関する遺物が発見されていない。
なんと、キリスト教徒が住んだ痕跡どころか、人が住んだ痕跡が無いのだ!。
 
キリスト教徒たちは、この地にやって来ると、すでにあった地下の洞窟を利用して、それをさらに大規模に拡張していったであろうと推測されるが、
使用目的は不明のままだ。
イメージ 5
カッパドキアの地下都市は100万人収容可能な地下都市ネットワークである。
○地下都市として機能しうる完全な機能をそなえている。
○3世紀に定住したキリスト教徒が地下都市を建造したというのが通説であったが、紀元前五世紀に地下都市が存在したという文献が残っている。通説より800年前である。
キリスト教徒の遺物は洞窟寺院や修道院で見つかっているが、地下都市からはキリスト教徒の遺物は発見されていない。
○今は紀元前1800年頃にトルコ・アナトリアに現れたヒッタイト人が地下都市建造を開始したという説が主流。
○しかし、オメル博士はそれ以前に建造されていたという見方を示している。7000年前の紀元前5000年から紀元前2000前だという。
○9世紀以降、少なくても13世紀以降から1965年に調査を開始するまで1000年もの間、地下都市の存在を誰一人として知らず見つけ出すことができなかった。ただ、地下都市に触れた言い伝えは残されていたという

紀元前50世紀~前20世紀 カッパドキアの地下都市建造開始(オメル博士の説)
紀元前18世紀 トルコ・アナトリア地方にヒッタイト人が現れる。
紀元前12世紀 ヒッタイト人が滅亡。製鉄の技術が世界に広まる。
紀元前5世紀 当時の歴史家が文献でアナトリアの地下都市に触れている。
西暦3世紀 迫害されたキリスト教徒が定住する。
西暦9世紀 洞窟寺院や修道院はこのころに造られたものとされている。
西暦1965年 本格的な調査が始まる。
 
参照ページ
 
地上には岩を掘った住居があり、今も利用されている。
なのに地下都市には生活の痕跡が無く、そしてなぜ見捨てられたのか。
 
しかし、
2007年6月23日に公開されたカッパドキア地区にある地下都市の一つ
ガジエミル地下都市は、入り口は10mもの岩で作られています。
ホールの終わりに、開かれた場所があり、他の地下都市へと続き、
また、別の部分はこの周りの地域に続きます。
この地下都市がビザンチン時代に使用されていたものであるということが、
掃除作業の間その証拠が見つかりました。
2つの教会、ワイナリー、数え切れないワインの樽がありました。
食堂、皮なめし扉の暖炉やトルコ風呂などの生活区域も見つかりました。
他の場所につながる通路はラクダが通れるほど広く、
壁にはラクダの骨や動物を縛った場所が刻まれています。
ここが公衆の家として使われていたのではないかということが示唆されます。
 
謎が多いだけに、伝説の出来事を絡めて古代の核シェルター説まである。
トルコには、旧約聖書に登場する「ノアの方舟」、
その方舟が漂着したといわれるアララト(Ararat)山があり、
2010年にトルコと中国の探検チーム
「ノアズ・アーク・ミニストリーズ・インターナショナル」トルコ東部にあるアララト山の標高およそ4000メートル地点で発見した構造物から採取した木片を、
炭素年代測定を行ったところ、
今から4800年前と同時期のものであることが確認されたとして、
方舟のものであることにほぼ間違いないとの見解を示した。

衛星画像でもノアの方舟らしき陰影が確認できるそうだ。