GT-R

 GT-R 
 
NISSAN GT-RスカイラインGT-Rの事実上の後継車種と言われますが、
スカイラインのグレードの一つのGT-Rではなくなっり、GT-Rと言う単独車種になってしまった。
 
昭和38年、スカイラインはS50型へフルモデルチェンジ。
プリンス自動車はこのS50型をベースとして、第一回日本GPの屈辱を晴らすべく、
新型マシンの開発を進めました。
 
エンジンは新型グロリアS40型に搭載する直列6気筒のG7型がベースに、
これにウェーバー社製キャブレターを各2気筒分、
合計3基を取り付けて150馬力を叩き出しました。
更に全長の長い直列6気筒エンジンを収める為、
エンジンルームもこれに伴い200ミリ延長されました。
これが「プリンススカイラインGT」です。
 
第二回日本グランプリではGT-Ⅱクラスに参戦。
ポルシェ904GTSに全く歯が立たなかったものの、
他の国産車を大きく引き離し2位以降を独占。
 
レース中、周回遅れのクルマを抜く事にちゅうちょした式場選手のポルシェを、
生沢選スカイラインが抜いて、一周だけながらトップに躍り出てた。
箱型セダンスタイルの車が流線型レース車を抜いた・・・、
ここから「スカイライン伝説」が始まりました。
 
この時代のレースは映像でしか知りませんが、
16歳で自動2輪、18歳で自動車運転免許を取ろうとしたきっかけでもある。
免許は取ったがマイカーはない高校生、
レンタカー(スズキフロンテとN360)でレース前夜から鈴鹿サーキットへ。
 その時、車もまばらなサーキット駐車場に
市販のGT-Bがエンジンをうならせバラス(小石)を吹き飛ばして後輪をスピンさせていた。
 
レース後、スカイラインGTは、
スカイライン2000GT-A、GT-B」の名で市販されて「2000GT」の歴史が始まります。
フロントノーズ以外の外観は、1500とほぼ同じ平凡なファミリーセダンでありながら、
スポーツカーを脅かすほどの走りを見せた事から、「羊の皮をかぶった狼」と呼ばれ事となる。
 
ウェーバー製キャブ1基とした仕様(105馬力)が「2000GT-A」、
レースモデルと同様にウェーバー製のキャブを3連装し、125馬力の「スカイライン2000GT-B」。
 
イメージ 1
EOS 5D Mark III +   EF24-70mm F4L IS USM