お塚

 お塚 
 
伏見稲荷のお山めぐりをした事のある人ならば稲荷山の参道を歩いて、
無数の鳥居はもちろんですが、
あちこちに建てられた数々の「お塚」に興味を持つと思います。
 
これらのお塚もお稲荷さんの不思議の一つです。
 
お塚は、稲荷神を信仰する方々が、
自分の守護神として思い思いの名前を付けて奉納したものです。
自分の名や企業名から取った○○大神とかXX大神とか石に刻んであります。
はたから見れば何でも神さんに出来るんかいと突っ込みたくなります。
 
その歴史は意外と新しく、
明治時代に稲荷大社によって「七神蹟」
(一ノ峰、二ノ峰、間ノ峰、三ノ峰、御劔社、御膳谷、荒神)が定められて以後、
急速に増えました。
稲荷山全体でのお塚の数は、昭和初めには約2500基、昭和41年には7762基、
そして現在では、霊体験をした人、ただただ商売繁盛を願う人達により、
一万は有るだろうと言われています。
 
一つの塚を中心に、
その周を取り巻くように無数の塚が置かれ、
ひとつの山が出来ている場所も有ります。
 
子供の頃、親に連れられお山めぐりをしていた頃は、
何の疑問も持ちませんでしたが、
今、お塚が私的な塚だと知ると、自由気ままに置かれた塚の使用地は、
誰のものなのか、などと俗な疑問が湧いてくる。
 
私が5歳のときに家族で引越したのですが、
引越し前の我家に、時より不思議な人達が訪問してくるのです。
その人達は、部屋の角、鴨居に三角の板を置き、
そこに祀られた神棚に用があったのです。
 
一人は、弁慶のような僧兵スタイルで、
1本歯の高下駄を履いて堺の浜寺公園の南、助松からやって来た。
幼児ですから、異様な姿に大声のおっちゃんにはビビっていました。
 
もう一人は、スーツ姿のサラリーマン風おっちゃんでした。
九字を切り祝詞を唱えていました。
優しい人でしたが声は枯れていた!。
 
不思議ですね!、伏見さんや聞いていた神棚に僧兵とおっさん・・・。
 
稲荷大社神道神仏分離政策の影響を受けましたが、
お塚への信仰は庶民によるもので、神仏習合が残っています。
お塚の中には、我家の宗派のお経が刻まれている物もあります。
 
修行した霊体験者がお塚を造り、
霊体験をした人が自分に合ったお塚を信仰する。
その様に理解すると、サラリーマンのおっちゃんは霊体験者だったのでしょう。
 
引っ越した家には来なくなりましたが、
サラリーマンのおっちゃんの家は住吉大社の北にあり、今でも家はある。
僧兵の助松には、潮干狩りに行きました。
みなさんお亡くなりになられていると思います。
 
子供の頃、親に連れられてお山めぐりをする時は、2箇所のお塚に参りました。
一つ目のお塚はよく覚えていて、ここと示せますが、
二つ目のお塚が分かりません。
山のように成ったお塚群の一つの小さなお塚ですので、
この中とは言えますが、
これだと断定できません。
近年、観光がてらお山めぐりをするたびに、
記憶を辿るのですが断定できません。
 
家から持ってきたお神酒と塩と丸餅を供えてたな~!。
 
深い信仰心は私にはありません。
毎晩夢を見ますが・・・霊体験は無い!。
 
イメージ 1
DMC-GX7 + SAMYANG7.5mm 1:3.5 UMC Fish-eye MFT
TV 1/250 AV 5.6 ISO 200 焦点距離 7.5mm
 
 
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